自由・病原菌・轍
――人々は自由になった。
自由になったことが、病原菌の拡散をもたらした。
そして、同じ轍を踏むのである。
と、ジャレッド・ダイアモンドが言っていないように、(そう、誰も言っていない)
東日本大震災以来の「有事」を、この国は迎えている。
2日前に高熱を患い、インフルエンザの陽性反応を医者が願うというねじれた治療を受けた私は、
体内の名も知らぬウイルスと闘っている間に、事態は大きく動いていた。
これは、状況を正しく認識するとか、そういうことを目的としたのではなく、
ベッドの上でポカリスエットを飲み汗をかくしかなかったことへの憂さ晴らしの文章である。
名前が決まった後も「新型」と呼ばれ続けるコロナウイルスは、瞬く間に日本中に広まっていった。
この混乱の始まりは、何だったのだろうか。
日本に観光客が増えたからだろうか。
気付けばこの国は、冷酷な国と自分を蔑むような皮肉屋へとなり果てていた。(事実誤認)
観光産業の盛り上がりは火を見るより明らかで、「インバウンド」というドッチボールの新ルールのような言葉も一般的に使われるようになった。
隣国の発展に伴い、GDPを頭割り計算するような誤魔化し方はもう止めにして、その代わり観光事業の計算方法を(たとえば「文化振興」とか「IT関連」とか曖昧な括りを敢えて用いることで)うまく水増しし、時代は観光だと、誰もに認識させることになった。
「爆買い」とは素っ頓狂なネーミングセンスだ。
この麦芽いいねと君が言ったから クリアアサヒが家で冷えてる
大型家電量販店には中国語に堪能なスタッフが常駐し、老舗お土産街にも必ずQRコードが置いてある。
ガラガラの観光地は、売上が爆下げ…。
グローバリズムが発展したからだろうか。
グローバル化が極まると、地球は一つになると夢想した時代があったらしい。はじめから、地球は一つしかないのだけど。
この点、興味深いのは、感染のきっかけ(培養?)になっている交通機関である。
タクシー運転手。日本では再就職の代名詞。一人くらい防護服ドライバーが登場してもよさそうになってきた。
観光バス。発熱してても、咳が出てても、予約してたんだもの。バスツアー。楽しまなきゃ。
屋形船。屋形船くんが敬遠されるのは未だに(?_?)という顔になる。誰が来てるか分からない居酒屋はいいのに?
クイーンエリザベス。なめこを栽培するゲームを髣髴とさせる。あのツクシみたいなキャラ、いうほどなめこじゃなかったな。下船後は公共交通機関で。
通勤に満員電車を利用していたり、飛行機で国を往復したり、密室で不特定多数と一緒になる移動手段が、危険性が叫ばれるばかりでさほど問題視されない。
だからあえて言おう、コロナウイルスは、余暇を許さない病なのだと。観光目的の「のろい」移動中には、ウイルスが宿ってしまうのだ。全てが速くなった現代において、「のろい」のはプチ金持ちの年寄りが殆どなのだ。
市中には潜在患者がたくさん?満員電車は至急廃止?
大丈夫大丈夫!手作りのマスクを身につけて、水素水を毎日飲み、ガイガーカウンターで計測していれば大丈夫!
病は古来から(当時にこの認識はないが)自然災害であった。
歴史書を見れば、日蝕や地震、疫病の記録がかなり詳細に残されている。それは、為政者の失態を観測するというよりも、改元や譲位、あるいは何らかの政治的決断のための布石としてあり、祈りと政治行為が重なっていた時代の認識に依るものなのだろう。
冒頭にも述べたように、地震災害以来の「有事」なのである。
東日本大震災は、突発的に起こった自然災害であった。しかし、その予想をめぐる裁判はおおむね予想が不足していたとの判断が下り(すなわち「想定外」は通用しないという裁き)、風評被害は少し落ち着いてきたか、原発は人災としての一面もあるとの考えがイデオロギーとして定着してきた。
災害を責任論で固め(これが「法」あるいは「社会」)、あるいは原因究明に尽力し(これが「科学」)、むしろこうした勢力の人々こそが「自然」災害だったものにペンキを塗り固めて、内心満足気に(これは無意識的な満足なので、顔は不服そうにしている)事態を収拾してきた。
病は自然災害である。
しょうもないパロディを正しておくと、家畜の広がりに伴う疫病の拡大、それが文明の盛衰に大きく影響していたと先人は分析している。
また、『方丈記』の「飢饉」の項では、飢饉で疲弊した京中に疫病が襲う、死屍累々のおどろおどろしい様子が描かれている。
そういう意味では、地震との最大の違いは、必然的な自然災害であるということなのかもしれない。
以上、時間切れです。
病についていうなら、「怨霊」は絶対でしたね。ただし、龍とか鯰との違いがあるかないかはもう考えられません。
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