雨宿りする烏

スーパーでよく買い物をする。


その日安いものを中心に、そして旬の食べ物を手に取り、発泡酒も忘れずにカゴに入れる。(ケース買いはしない。面倒だから。)

レジでお会計をするが、ポイントカードは作らない。昨年のM-1グランプリで披露された漫才に、「過去に一度だけ戻れるならポイントカードを作る」というテーマの漫才があり、限りない共感を覚えた。もう取り返しがつかないのだ。

会計が終わると、袋詰めをする作業が待っている。店員さんによっては、客の混み様を見ながら、袋詰めしてくれるケースがある(「まいばすけっと」はどれだけ行列でも入れてくれる)。肉や魚にビニール袋をかぶせてくれるくらいが、ちょうどいい。瓶の酒に着せる、安っぽいドレスめいたやたら切れ込みが入った紙は、いらない。あれがあるからと言って、落としても無事だった!ということはないだろう。

さて、「スーパーで袋詰めをする台」。この記事はこの台の下に置かれたごみ箱について語るために書いているのだが、名前が分からない。でも大丈夫。「OKグーグル」(といって、このセリフを声に出して呟く人は日本には40人くらいしかいないし、ホームボタンを長押しする。)を唱え、「サッカー台」という名前を教えてくれた。

サッカー台。名前を知っている人は40人よりは多いだろうが、声に出した人は本当にいないのではなかろうか。この言葉についてなぜか探究したサイトがあったので一応リンクを貼っておく。

http://fngsw.hatenablog.com/entry/2016/08/29/182149

サッカー台の話はもういい。それよりも、その下にあるゴミ箱について。

あの中に入れるものなんて、買い物したあとのレシートくらいしかないだろう。親切なスーパーに限って、「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」の箱が交互に配置されていて、うっかり感熱紙を不燃扱いにした経験があるのではないだろうか。(感熱紙が簡単に燃えられても困るのだが、やはり紙は紙。)

そのゴミ箱の中に。肉や魚が入っていたはずの、発泡スチロールの白いトレイが捨てられているのだ。一度や二度ではない。思い返せば、九州の片田舎で「コープ」に行っていた頃から、その風景を目にしていたような気がする。だが、サッカー台でトレイを捨てている人を見たことは、一度たりともない。雨の日のカラスのような、絶対にいるはずなのに、私の前には姿を現さない存在。

一体全体、何が起こっているのだろう。

生肉だとして、その場でタッパーに移し替えているのか。生魚だとして、その場で二つを一つにまとめているのか。ハムやベーコンなら許容範囲だという感覚は沸くが、それなら最初からパウチされた商品を買うだろう。あと、発泡スチロールトレイを使う商品は…。

否、移し替えるための容器を持参してさえいれば、可能といえば可能だ。真っ赤なステーキ肉やカツオのたたきのサクにかぶりつくよりは、”在り得る”話だろう。しかし、それほど用意周到な人物に限って、「燃えないゴミ」にトレイを捨てるだろうか。入口の回収BOXに射れればよいだろう。(無論私はいちいち回収BOXに持参することなどない。再び持参するものぐさを厭っての行為だというなら、まだ同情の余地もあったのに。)

佃煮。ビアソーセージ。モウカザメの切り身。おから(卯の花)。豚レバー。ポテトサラダ。肉の鮮度を覆い隠す、「味付け済み」の鶏肉。生わかめ。白ご飯や大根のツマまで。いかなる「中身」をトレイに入れたって、あの場で捨てることに道理が通らない。


いつか、いつの日にか目の前で捨てる人物が現れることを待っていようと決意したのが10日ほど前。一昨日、雨でビショビショになりながら飛んで来るカラスとすれ違ってしまった。



※本記事は「随筆」とはどのようなものか、自分なりに考えてみるために頭を空っぽにして描いた文章です。





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