『ゴジラ-1.0』雑感 喪失の歴史

今年も終わるようだが、全くその実感に欠けている。仕事の巡りと子育てで、ただただ今日を生きるだけの一年だった。あとひと月すれば晴れて自由の身なのだが、さすがにこれで一年を終われないので、急遽思い立って映画館へ。


山崎貴…で少し躊躇したものの、他にめぼしいものも無いので、見てみた。『シン・ゴジラ』のおかげで、ゴジラ論の貯金が少しだけ残っていたし。

まあ、批評性うんぬんを言うのも失礼なくらいすがすがしいエンターテインメント映画であった。ベタだらけで構成されていて、安心感があり面白い。CG技術はさすがのもので、どこまでが実写でどこまでがCGかが分からず、違和感なく見れる。(撮影風景見たいな~)

ゴジラの熱戦機構!!ふざけているみたいな可動式のトゲトゲ。少年心をくすぐりますね。

CGでいうと、どうしても人体が吹き飛ぶところは気になるけどね。ヌルッと動く。あんなに60fpsみたいに描かなくても、人間の目で追える程度の描写でよさそうだが。人体損壊は難しいのでしょうか。


キャストもしっかりしていて…、佐々木蔵之介、青木崇高あたりは個人的に好きなので良かった。吉岡秀隆もよいね。あのメンバー4人みんな良い、むしろ脚本の甘さもあって神木くんがのっぺりといい加減な人間に見えてしまった。

浜辺美波、かわいいな!今まで一度も思ったことなかったが、似合わない昭和風の格好で見つめられたら仕方ない。

あとは、一応父親になっちゃったので、子供に寂しい思いをさせる…系のベタにはめっぽう弱くなってしまったね。これも仕方ない。


この映画は、ゴジラに戦前・戦後のあらゆる日本の喪失体験を詰め込んでいる。物語の都合で戦争、特攻、サバイバーズギルドの問題として描かれているが、東京大空襲、原爆、関東大震災、先の311の東日本大震災がひっくるめられた〈禍〉としてのゴジラである。(銀座がシンボルである以上、関東大震災をまずは想起するかな。)それがラストシーンの〈反復可能性〉として描かれる、と。お願いだから続編は作らないでください。ここにコロナを乗っけて、「――今度のゴジラは、感染(うつ)る」とかやめましょう。可能性で終わるから物語が終わっている。


〈生きること〉を肯定しているだけで、物語の根本的な思想は軍国主義そのものである、という見方が正しい映画だろう。英霊になれなかった男たちの物語、という古典的なモチベーション(本当にベタだな)が、「未来を生きるため」という言葉遊びによって正当化、美化されていく。そこに皮肉が籠らなくてもいいのだから、怪獣映画ってすごい。『シン・ゴジラ』が真面目過ぎたのだね。


よって、「こんなのは見るに値しない映画だ」というのが自分の正しい感想なはずだが、この1年の涸れに涸れ果てた感受性や思考を多少は潤してくれた。だから、映画っていいもんだよ、って言っちゃうんですね。




大学入学のタイミングに東日本大震災があったわけだが、自分が生きている間に、こういう〈喪失〉はあるのだろうか。

家族を持ってしまうと、そのことがたまらなく恐ろしい。子供が笑ったり泣いたりして、そこに大変ながらも一定の愛情を持ったりとかして、そういうことを大体の人間はやってきたのに、それをあざ笑うかのように全部殺したり、はたまたどっちかだけを殺したりね。自然災害も戦争も、いつかは必ず起こるわけで、世界中で長年そういうことが繰り返されてきたわけでしょう。

誰かと協力しようとか、未来のために戦おうとか、そんなのはどうでもよくて、ただただ失いたくないもののために、やることをやるしかないのだろうね。



…ベタだな!

映画に悪口が言えるように頑張りたいと思います。「ネットで考察できる程度の謎を最後にちりばめるなよ!」「先発隊の戦艦がダミーだったことは、たぶんバカな奴には分らんよ、説明セリフいれろ!」「敷島って名前安直やろい!」「敷島の葛藤がいい加減すぎる、へぼい船で九死に一生を得たのに、帰って『生きよう』という決意になるわけないやろ」「浜辺美波との●●●がそんなに良かったなら分かる」「ゴジラの犠牲が俺のせいだ、も無理があるでしょ」「船ってそんな一瞬で方向転換できねえって」「いつ来てもおかしくないなら酒飲むなよ」「安藤サクラ、最初に出てきた瞬間に”あ、この人良い人になるんだろうな”感がすごいし、予想を上回る速度で良い人になった」「浜辺美波の広背筋けっこうすごいんだろうか?」「その他ご都合主義は別にいいよ!」


Snobbism

主に読んだものや見たものや考えたことについて書きます。

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